細部を磨いて加工する。

日本らしさを調べていたら、これこそ本質ではないかという記事を目にした。
次世代に渡さなければならないのは「細部を磨いて加工する」日本人独特の感覚とあった。
この言葉を見て最初に感じたのは、創意工夫に満ちた日本のものづくりだ。
いわゆる町工場の凄腕職人は、間違いなく技の細部を磨きに磨いてものを作っている。

伝統芸能も同じだという。日本には伎楽、雅楽、能、歌舞伎、文楽など様々ある。
これらは中国やインドから伝わったものが、磨かれ、リミックスされ作られたものだ。
日本独自のものではあるが、ルーツを辿れば外国からきたものばかりだ。
三味線も日本の楽器ではなく、中国から伝わり、沖縄で三線になり、三味線になった。

普遍的な本質は大事にしながらも、時代背景にあった物語や表現に変えてきたのだ。
後日談をつくったり、流行歌を取り入れたり、伝統芸能も進化の過程で変化してきた。
そんな中で、変わらないのが、芸の細部を磨き上げて演じる部分だ。単なるまねではない。
演者はオーラを放ち、まるで憑依したかの如く、その役を演じきっていたのだと思う。

観客もそれに真正面から応えていた。能動的に細部を捉える。全身で感じていたのだ。
想像力を高めて、演者が伝えたいことに頭を巡らす。無言で対話をおこなっていたのだ。
そういった真剣なやり取りが、芸能をみるという文化を育んでいったのだと思う。
そして、それを繰り返すうちに、細部を磨いて加工するという本質が日本らしさになったのだ。

日本人は全体の構造を捉えるのが苦手、論理的にものを運ぶことができない。
こんなことを言われることも多いが、だからこそ、細部へのこだわりが生まれたのかもしれない。
そして、その磨き上げの程度が圧倒的なレベルであるが故に、細部に魂が宿ったのだと思う。
全ての人が、細部を磨いて新たな価値を生み出すことに挑戦したら、日本は凄い国になると思う。