道とレール。

最近、正解が揺れていると思う。不正解は分かりやすいが、正解は多様だ。
もちろん、数学や化学といった世界の中で、特定環境下での正解は、昔から変わらない。
でも、正解は世の中や社会に出てくると、理想の状況などなく、不正解にもなる。
人というややこしい生き物がその環境下に入ると、状況は瞬く間に難しくなっていく。

「道」という言葉には、どこか蓄積とか、未来とか、ポジティブな意味合いがあると思う。
極めてきたもの、極めていくものという感じだ。言葉の響きにもワクワク感がある。
歩いたり、車で走ったりする道路も同じだ。曲がりくねって何処にいくのかワクワクする。
分かれ道でどちらを選ぶか、意思決定には緊張感が走る。未来を決めるドキドキがある。

一方、レールはどこかネガティブなイメージがつきまとう。敷かれたレールという言葉もある。
行き先は初めから決まっていて、それに従って行くことで、目的は達成されるという感覚だ。
道に比べると、圧倒的に分岐が少ない。幅は一定で、比較的まっすぐで、先も見通せる。
だから、安心して進めるし、目的地まで速く進むことができる。とても効率的だ。

レールは、それだけだとあまり楽しくはない。でも、遠くに行くならレールはとても役に立つ。
何かしらの能力を身につけるなら、まずは先人の知恵の詰まった型から入るのが正しいと思う。
これがレールだ。レールに沿って、一定の高みまで素早く到達すればいいのだ。
どこかで道に乗り換えて、自分でその先を切り開いていく。道とレールのセットが良い。

能力を世の中や社会で使おうとすると、想定外の状況が生まれる。そこからが楽しいと思う。
型を意識しつつも、いかにその状況下の中で創意工夫するか。ここからが本番だ。
今はどんな情報でも手に入る。素早く沢山のレールを使い、かなりの高みまで到達できる。
でも、やはり本当に楽しいのはそこからの「道」だ。道を切り開く楽しさを体感していきたい。