刀のある生活

最近、何度も日本刀の博物館に通っている。専門用語も少しずつ覚えることができた。
日本刀の作り方を目の前で見たり、職人の方と話したりする機会も頂けている。
鋼の焼き入れ、焼き戻しなど、大学の材料工学科の頃に習ったことも思い出す。
でも、そうした技術がこんなにも美しい輝きを放つものを生み出すことは全く分からなかった。

作り方はもちろんだが、日本刀の背景にある精神世界についての解説には興味が湧いている。
日本刀が戦いの道具だった頃から、少し平和になり、武器としての使用が減った時代の話だ。
剣術や居合術などが盛んになり、様々な流派が生まれたらしい。鍛錬の日々の始まりだ。
目的も、剣客が切って相手を打ち負かすことから、切らずに争いを治めることへと移り始めた。

例えば、鞘の中。これは刀を抜かずして争いを治めること。戦う力を持っていながら使わない。
理と心で対処し、戦うことなく治めてしまう。世に言う活人剣の極意であると言う。
自分の持つ戦う力を伝えつつも、それ以上に相手の状況を察知して、心を静めさせる。
戦っても意味がないこと、そもそも戦う必要がないことを伝えているのだと思う。

「武器ではない刀」という意味合いにかなり重きが置かれている。人を活かすための象徴だ。
自分の心を静めるための道具でもある。生活のリズムの維持や健康増進の場合もありそうだ。
立ち振る舞いの訓練もできるだろう。輝きを放つ刀身からは美しさの本質を学べると思う。
さらに、心をざわつかせたまま、日本刀に触れると大怪我をしてしまうといったリスクもある。

昔、日本刀は一家に一振りあったという。どうやら武士以外の家にもあったらしい。
護身という意味合いもあったかもしれないが、家宝や奉るものという感覚だったのだと思う。
日本刀の文化を盛んにしていくためには、日々使う存在に日本刀がなるのが良いと思う。
ラジオ体操やヨガ、お祭りの中で使われる道具や精神性を高めるための道具にしたいと思った。