ものづくりの楽しさ

3-4年前、町工場でスマホ立てをつくる機会を頂いたことがある。今でも記憶に残る。
A4サイズの半分ぐらいの金属板からロゴを打ち抜き、折り曲げて完成するというシンプルなものだ。
とは言え、使う装置はプロ用だ。切れ味は抜群、音もすごく、迫力がある。腰が引けてくる。
丁寧なガイダンスを聞きながら、装置に板をセットしてボタンを押す。見事に曲がる。一瞬だ。

打ち抜いたり、鋭角に曲げたところはどうしても、バリなどが出るようだ。少し手作業が入る。
砥石が回転するタイプのものに、直したいところを押し当てて滑らかにする。反動があり力が入る。
手で持つタイプのヤスリはロゴを打ち抜いた部分に使った。これがなかなか勘が掴めない。
最初は、ヤスリを使うことで滑らかどころか、傷が増えていく。それを含めて消していく作業だった。

次第に感覚は掴めてきた。30年前は旋盤やフライスに囲まれた研究所にいたからかもしれない。
ただ、その時も日常的に使っていたわけではなく、どうしても治具などが必要な時に使っていた。
スマホ立てや簡単な治具でも、出来上がるととても嬉しい。見た目の悪さはいつもだったが愛嬌だ。
そんな経験があるから、美しい工業製品をみると、こんな加工どうやってやるのかと感動してしまう。

ものづくりとは逆のプロセスも楽しんだことがあった。分解だ。ラジオ、バイクなどは楽しかった。
注意深く壊さないように分解する。絵を描き、番号を振りながら、各部品の位置を記録していく。
ラジオは良かった。分解後に組み立てたら、また音を出すことができた。でもバイクは違った。
50ccだからと舐めていたわけではないが、2度とエンジンが掛かることはなかった。次元が違った。

でも分解は楽しかった。加工や組み立てよりもスリルがあった。悪いことをしている感覚があった。
今の子供世代にもこうした経験を持って欲しいと考えている。加工屋さんになれというわけではない。
ものづくりのメカニズムを知って欲しいと思う。肌感覚を持つことだ。そうすると世界が変わる。
ものをみると、これは丁寧な仕事だ!、これは難しそう!といった感覚が湧いてる。楽しいと思う。