人、ロボットの「掴む」を考える

最近のロボットはだいぶ器用になってきた。少し前までは、精密な動きに極度に偏った能力だった。
予め決めた位置で寸分も狂わず作業をする。作業対象のモノも常に同じ大きさ・位置の必要がある。
位置が定まらない場合は、位置の決まった角に押し付けて位置決めする等、かなりの努力だ。
でも今では、カメラとAIを積んで、つまり目を持って状況を捉えつつ、微調整しながら作業できる。

ロボットの進化は著しいが、それでも人の手の凄さは群を抜いている。大きな違いは触感だ。
例えば、目をつぶっていても、手で探りながらモノの場所や、モノ自体も判別して掴める。
硬いモノでも柔らかいものでも、対象のモノを壊さないように、瞬時に掴む力を調整できる。
しっかり鍛えておくと、1mmの100分の1くらいの厚さの違いも簡単に見分けることができる。

一方、ロボットの手は、2枚の板でモノを挟み込んで掴むものや吸着するものがまだまだ多い。
人の手のように、5本の指を持つ手もないことはないが、機構が複雑、コスト高という欠点がある。
これに触感などをつけようものなら、性能は今ひとつなのにロボット本体より高い手になりそうだ。
こんな理由から、2枚で挟み込む手、吸着して掴む手が主流なのだろう。まだ暫く続きそうだ。

ふと思った。人の手の性能は生まれてから死ぬまで、日常の作業経験の中で、常に変化している。
赤ちゃんは握ることもままならない。もちろんお箸も持てない。職人は手のひらで何でも分かる。
交通事故や病気なので手に障害を負ってしまうこともある。掴めないところから凄技まで様々だ。
これからの世界、人が心豊かに生きていくには、こうした手の能力の多寡に応じた掴み方が必要だ。

世の中にあるものは、平均的な人の手の能力を基準に作られている。それ以外への配慮は少ない。
だから、ロボットには掴み難いものだらけだ。赤ちゃんにも障害を持たれた方にも優しくない。
人を助けるべきロボットは特定条件下でしか役に立てない状況だ。状況打開には2つの方法がある。
世にあるものを持ち易く変える。人やロボットの手の能力を拡張する補助具を作る。どちらかだ。