賑わいの定義

この10年、頭の中に出てくる言葉。それは「賑わい」だ。特にコロナになったからではない。
自動車の世界で新車をいかに沢山売るか。これに夢中だったのは2000年からの5年間。
その頃から「常に新しい車に乗る意味は何か」という違和感が少しずつ大きくなってきた。
移動総量と経済活動の関係性も、移動が増えれば経済が潤うと捉えるようになってきた。

移動の種類にも着目した。速い移動から遅い移動。一人の移動から複数人、大勢の移動。
車の移動から、バスや電車、飛行機、歩き、自転車での移動。車椅子やVRでの移動もある。
ある場所に、どのくらいの移動があるか。色々な移動が混ざっているか。みんな笑顔か。
メリハリはあるべきだが、1日、1年を通して、完全に途切れてしまうことがないか。

その場所に人は意思を持って訪れる。訪れる理由、目的がある。喜怒哀楽の感情も生まれる。
日常とは違う「その場所ならではのこと」に触れ、日常とは違う刺激を受けて感情が動く。
また、その場所では一人ではない。周りには人がいる。同じ目的の人が沢山いる場合もある。
違う目的の人も沢山いる。それら沢山の人の目的や感情が増幅すると賑わいが生まれる。

増幅せずに、打ち消しあうと、賑わいは生まれない。人の数が少ないと増幅は起きない。
感情は喜怒哀楽があって良い。でも、怒と哀は少なくていい。喜と楽が多いのが良い。
そうすると、その場所全体が明るくなる。場所に一歩一歩踏み出すエネルギーが生まれる。
宇宙から見たら、光が沢山生まれ、動き、交わり、別の感情も包み込み強く輝くイメージだ。

ある程度ベクトル(方向)のあった取り組みが時間と場所の2つの軸で密度を持つのが良い。
大都市では既に取り組みは至る所に沢山ある。やるべきはベクトルの向きを合わせることだ。
都市が小さくなり、街になれば、ベクトルの向きに独自性が欲しくなる。無駄はできない。
増幅を起こすマネジメントがいる。閾値を超えるべく密度に拘れば賑わいが生み出せると思う。