本質で括る

意見が合わない。色々な場面でそんな言葉を聞く。例えば、認可〇〇と非認可〇〇。
ルールや基準に合わせて安心安全な場を提供している認可。独自の考え方の場を提供している非認可。
共通しているのは、その場に通ってくる人々にとって「良かれ」と思うことをやっていること。
であれば、本質的にはどちらも役に立つのは間違いない。役に立ち方が異なるだけだと思う。

認可は補助金が出て、非認可は出ない。この辺りでややこしくなる。敵対関係になりがちだ。
認可の粗探しが起こる。すると非認可の粗探しも起こる。結果、ルールや基準だけが厳しくなっていく。
すると、当たり障りのない画一的なサービスになり、役立ち方のパターンが減り、満足総量も減る。
認可と非認可というと水と油に聞こえる。そうじゃない。違う考え方同士なら補完し合えば良い。

世の中には多様な人がいる。サービスも多様であるべきだ。そして、どんなサービスも目的がある。
ならば、同じ目的を持つサービスを集めれば、多様な選択肢となる。選ぶ楽しさを生むこともできる。
協力体制を敷けば、夫々の特徴を際立たせることもできる。切磋琢磨すれば夫々のサービスが進化する。
一方で、目的が異なるサービスを集めれば、その時々のその人の気分に合わせたサービスが提供できる。

ポジティブなサービス、人に役立つことであれば、共存共栄できると考えている。
共存共栄となれば、お客さんを見つけたり、対価を獲たりする諸々の段取りに使う時間が減らせる。
サービスの進化や提供そのものに時間が使える。本来ならこの部分こそが大事なはずだ。
シェア争いではなく、駆逐でもなく、両方あること、沢山あることで総量を高めていきたい。

バリエーションを持っておくと、突然の環境変化などにも強い。コロナ禍が典型だ。
旅行業では、「遠い見知らぬ土地での新体験」から、「近場での新たな発見」へと舵が切られた。
モビリティの世界では、「人が魅力的な街に移動する」から、「魅力的な街を人に届ける」になった。
要は賑わいを生みたいんだと気づく。旅行業にもモビリティにも2つを隔てる垣根など存在しないはずだ。