シェアリングエコノミーという言葉が社会に浸透してきた。カーシェアもその1つだ。
以前からレンタカーがあったので、その延長ともとれないこともないが、少し違う。
使い勝手が良い。スマホをかざせば車の鍵が空き、使った分だけの料金で利用できる。
予約の手続きも簡単だ。海外には乗り捨て場所が自由なカーシェアリングもある。
家の駐車場に止めてある自分の車と比べると、利便性が劣るところもあるがコストが低い。
おそらく、車を移動の道具と割り切る人は待ってましたという感じのサービスだと思う。
一方、シェアハウスなどで特定少数で車をシェアリングしている場合もある。
この場合、顔の見える関係のある人々での共同所有という色合いが強い。つながりがある。
では、通常のシェアリングと共同所有では車への意識や使い方にどんな違いがあるのだろうか。
おそらく、共同所有では車を大事に使う。個人所有と比べてより気を遣う人もいると思う。
共同だからしょうがないと、少し大らかになる人もいる。でもシェアリングよりは車が痛まない。
共同なら、使い方も一緒に利用したり、荷物などの受け渡しに使うケースもあるかもしれない。
シェアリングでの給油や洗車という行為は、対価としての料金値引き等を当てにした行動になる。
一方で、共同所有の場合、洗車が好きな人が洗車を、給油は「次の人が困らないように」で動く。
つまり、気持ちの入り方が変わる。1台の車をみんなで大事に、気持ちよく利用しようとなる。
和を乱す人がいないのが前提だが、シェアリングより、共同所有の方が良いような気がしてきた。
車の共同所有なら、みんなの利用頻度にもよるが、20人くらいで7台くらい欲しい。車種は色々だ。
そうすればTPOに応じた車種選択ができる。もちろん、譲り合いの精神も大事にしていきたいものだ。
みんなで所有して、人から人へ受け渡していく、ある時また戻ってくる。車が繋がりの媒介になる。
あ、車だけじゃない。本でもおもちゃでもなんでも、つながりの媒介を街に増やしてみたくなった。