翻訳。

ある言語で表現された文章の内容を、原文に即して他の言語に移しかえること。
もしくは、符号やわかりにくい言葉、特殊な言葉などを一般的な言葉に直すこと。
ということは、言語や常識が異なる者同士の対話を円滑に行うための触媒。
そんな感じだろうか。日本語同士でもエリアや専門が違うと翻訳が必要になる。

では翻訳者には何が求められるのだろうか。最も大事なのは多様性ではないだろうか。
もしくは自分の中に如何に多様性を内包できるかということだと思っている。
言語や常識、そして専門が異なる人達をどれだけリスペクトできるかがはじまりだ。
リスペクトとは、慮ると言っても良い。言動の背景を読み解く力かもしれない。

もう一つの鍵は、俯瞰力なのではないかと考えている。視野を広げる力と言っても良い。
背景が異なるということは、意思決定に使う内容が異なるということだ。
そこで、まず登場する人それぞれがなぜそうした言動になったかの理由を洗い出す。
そして、そこに出て来た理由の全てを包含して得られる結論を考える能力が必要だ。

相互理解とは、常識や専門の壁を越えることが求められる。壁の正体を知る必要がある。
自らの中に多様性を持つとは、つまり俯瞰力を持って多様な意思決定の理由を捉えることだ。
自分のロジックは大事にしつつも、他の人の持つロジックを理解し、足し算してみることだ。
そうすると、理由が沢山増えるので、その理由全てを満たすロジックが新たに生まれてくる。

最後に、もう一つ意識したいのは、本質だ。登場人物の誰もが求めたい本質は何かを問うことだ。
多くの場合、人が地球で生きていく上で、大事にすべきことの場合が多い。
これが見つかればあとは、その本質を追い求めかつ、全ての理由と齟齬のないものを見つけていく。
言うは易く行うは難しだが、ロジックは正しいと思う。馬鹿正直に追い求めてみる価値はあるはずだ。