生成系AIの誕生で、世の中では人の役割をAIが代替するという話が多い。
確かにちゃんとした指示を与えれば、AIがそれなりの役割をになってくれる。
特に、パソコンで完結する世界においては、その進化が著しい。
AIがやったものと、人間がやったものを、結果だけで判別するのはとても難しい。
でも、ハードウェアが絡む現実の世界ではなかなか難しい事だらけだと感じる。
例えば、機械に人のように移動をさせて、その先で何らかの作業をさせる。
その作業が難易度が高ければ高いほど、AIでやり遂げるのは困難となる。
それどころか、移動自体にも困難がある。誤差なく決まった位置でとまることだ。
機械は人とは違って、止まる位置までのアプローチが苦手だ。自分の位置を正確に掴めない。
目の性能がまず違う。それから、機械は微調整が苦手だ。車の車庫入れを思い出せば分かる。
そう同じ車でも自動運転車と人間では、決まった位置に停めるまでのスピードが段違いだ。
人はなんならドリフトさせて車庫入れすらできる。ジムカーナの要領を使えばいい。
人は経験の中で、自分の持つ目や耳などの五感がどのくらいの誤差があるかを知っている。
さらには、その誤差を限りなくゼロにする方法すら編み出してしまっているのだ。
職人と言われるレベルの人に至っては、人すらも驚く精度を最も簡単に実現してしまう。
使っている道具がまさに自分の体の一部と化している状態になる。驚愕でしかない。
昨日は、搬送ロボットに出会った。ロボットの構造の詳細は分からないがピタッと止まる。
止まれば押しても動かない。精度は10mm以下だ。ギリギリまで近づくこともできる。
特に移動先で作業をするときは、なるべく手元で作業をしたくなる。
そんな時にも、このハードウェアがあるとかなり嬉しくなる。かなり使えそうだ。