尖っている!

日本人の多くはとても謙虚で、自らの持つ能力を大したことはないと言う。
自己評価をすると、自分には当たり前と思えることなので評価は低くなる。
確かにそうだろうと思う。でも、それは周囲の人から見ると、かなり状況が違う。
当たり前と思っていたことが、羨ましいと思われることに変貌することすらある。

自分の住む土地を語るときもそうだ。なんの変哲も無い土地。こんな感じだ。
でも、都会に住む人から見ると、なんとも羨ましいまちだということに気づいていない。
空気が美味しいことにすら気付かない。当たり前すぎて意識をしていないからだ。
その土地が育んだ作物、そもそもの自然、さらには人の温かみ。都会にはない。

伝統工芸もある。今もなお活き活きと輝く匠がいる。磨かれ続けた技がある。
焼き物などはその土地の土からできている。ガラスもそうだ。土地に根付いている。
でも、匠はすごい技術を当たり前と感じている。日々の営みで特別なものではない。
技を継ぎながら生計を立てていくのは簡単ではない。凄いことなのに凄さを意識していない。

中小のものづくり企業も一緒だ。品質やコストと日々闘ってきた。何十年もの間だ。
出来ないと思われたものも、創意工夫でできるようにしてきた。不可能を可能にしてきた。
職人の誇りのようなものだったと思う。でもやり切ると、あっけらかんと当たり前という。
そうした挑戦の積み重ねでとてつもない領域まで到達している。ただ楽しんでいる。

今のままで既に尖っている。ここを意識するのがスタートラインのような気がする。
しかも、誰もがだ。それぞれの持つものを素晴らしい、凄いと思う人が必ずいる。
そうした思いを表に引っ張り出してきて、伝え合う。ここが大事だと思う。
そして、尖りを意識しながら、それをさらに磨く。また伝え合う。社会の活力が高まると思う。