なぜなぜ。

人は、何か目の前で自分の予想と反したことが起きると、「なぜ」が頭に浮かぶ。
目の前にある出来事がなぜ起きたのか知りたくなる修正があるのだと思う。
いまどきのAIで言えば、データの少ない教師あり学習をしているようなものだ。
なぜの答えを予測して、それを別のなんらかの方法で何度も検証していく。

予測した答えが正しかった時はとても嬉しい。未知の問題を解けたような気がする。
ただ、多くの場合は、更なる問題が目の前に立ちはだかる。また「なぜ」が出る。
その「なぜ」の答えも予測して、先ほどと同じように答えを見つけていく。
これを「なぜ」がなくなるまで続ければ、その出来事が起きたメカニズムの全体像が分かる。

この「なぜ」を繰り返す作業は意外と辛い。なんども次の「なぜ」が出てくるからだ。
そこに好奇心を持ち続けることができると、問題を解く部品がどんどん頭にストックされていく。
AI的に言えば、なぜを解くアルゴリズムの種類が増えていくようなイメージだ。
それの組み合わせで、あるいはそれを増やしながら、人はどんな「なぜ」にも対応している。

経験量と言ってもいい。これまで人生の中で、「なぜ」を何回解いてきたかである。
回数が単純に多いだけだと広がりがない。アルゴリズムの種類を多く持つことが大事だ。
そうすれば、どんな「なぜ」にも組み合わせで何らかの答えを導くことができる。
組み合わせもアルゴリズムに加えれば、対応できる「なぜ」も増えるし、思考のスピードも上がる。

目の前に起きる出来事は、自分の専門分野に関わることだけではない。そこへの対応も必要だ。
対処方法は、「抽象度を上げる」が鍵だ。分野は違えど、メカニズムは同じを使うのだ。
起きていることを、専門用語ではなく、「要するにこういうこと」と汎化すればいいのだ。
「なぜなぜ」を極める道はどこまでも続く。それを進めば進むほど、導いた解の正答率が上がるのだ。