持続可能な開発目標を考えてみた

SDGsは、日本語では「持続可能な開発目標」と訳されている。意味を考えてみた。
まずは、「持続可能な」だが、これはとんでもなく意味深い言葉と感じている。
持続とは、長く続くことであり、持ち続けることだが、色々な対象を想像させる。
人であり、人の持つものであり、社会であり、さらには地球である。人の生きる環境だ。

環境には、人と人の交流もあるし、異文化の交流もある。更には多様な生物の生態系もある。
持続するには生きやすいことが必要だ。軋轢だらけでは持続しない。ゆとりと豊かさがいる。
今よりも一歩一歩、生きやすい、住みやすい社会にしていくという意味だと思っている。
だから、持続可能となっていない部分に焦点を当て、持続可能とするための開発をしていく。

もちろん、突然、すべての生物が持続可能な地球を作ることはできない。だから一歩一歩だ。
どうしても、まずは人を中心に考える。人同士で起きている問題から解決していく。
地球にいる色々な生物については、少しずつ良くしていく形を取るのが現実的なのだと思う。
どんな順番で取り組むべきかは難問だが、それぞれができることをやるのが正解なのだと思う。

SDGsの素晴らしいところは、地球に住んでいる人すべての活動指針になり得ることだ。
17のゴールのうち、すぐにでもやれることがたくさんある。人類のパーパスになっている。
自分一人でできることから始め、みんなで取り組める活動に参加していく。これでいい。
持続可能と考える活動の総量を多くすればするほど、パーパスの実現に近づいていく。

開発目標としているのも凄いと感じている。開発を通じて達成したいゴールをみんなで共有している。
つまり、事業として経済を回していくことを意識した言葉遣いになっていると思う。
人類にとって価値のある活動を知恵を絞って生み出したら、それに対価を支払うといった感じだ。
SDGsを知った時、これを作った国連は、異次元の視野を持った組織だと感じた。素晴らしい。