自分で考える癖

世の中はとんでもなく便利になった。インターネットを使うと、なんでも見つかる。
単なる情報はもちろん、何かを成し遂げるためのコツなどもたくさん見つけることができる。
そうした情報を駆使して、どんどん身につけて能力を高めるのが当たり前になってきた。
インターネットを記憶の代わりにして、都度瞬時に調べて対処している人までいると思う。

とはいえ、何かを極めるというレベルになると、今でもそんな簡単にはいかない。
あるレベルまでは、ネットで調べたことでも到達できる。その上になるとパタっと伸びが止まる。
個々人の身体能力だったり、思考の癖だったり、まわりの環境だったりが、大きく影響するからだ。
変数が増え、変数同士の細かな匙加減、ものづくりのすり合わせのようなものが大事になるのだ。

ではどうするか。やはり個々人の試行錯誤が必要な領域だと思う。自ら考え、試してみる事だ。
勿論、人からのアドバイスも重要だ。でも、そんな時は往々にしてゴールに紐づくことしか学べない。
人はその局面で必要な直すべきことを伝えるからだ。ゴールとのギャップを一つ一つ示すからだ。
それをきっちりやれれば、ゴールには到達できる。でも、違う局面ではゴールに行けない場合もでる。

このやり方では、より抽象度の高いゴール、どんな局面でもめざすべきゴールの姿は見えないからだ。
この抽象度の高いゴールは、自らの試行錯誤でしか手に入らない、実感できないと思う。
だから、ある一定の知識を詰め込んだ後は、自らの意思で徹底的に試行錯誤することが大事なのだ。
昔から、師匠の背中を見て学べという言葉がある。ここには、師匠のこうした想いがあるのだ。

師匠は更なる期待もしているのだと思う。それは、師匠とは違った抽象度の高いゴールの具体化だ。
師匠の生み出すゴールが決して、唯一無二のゴールではないと、師匠も認識している。
勿論、師匠の具体は簡単に超えられない。でも師匠はそれとは異なり、超える具体を望んでいる。
ゴールに直結しないことをどれだけ体験しておくか。こんな遠回りが面白いと感じるのも良いと思う。