手を動かすこと

物事にはそれがどんな仕組みで回っているのか。合理的な理由がある。
初見ではそのメカニズムがどんなものかが分からないものも多い。
ある程度、予想できたりすることもある。でもそれが正しくとも、予想通りやれるとは限らない。
職人の持つ高度な技ともなると、多数のメカニズムが凝縮していて、簡単には予想できなくなる。

たまに、AIは大変だと思う。電気さえあれば、頭を使い続けても疲れはしないとは思う。
でも、人が長い年月をかけて学んできたことを、かなり短い時間で学ばされる。
さらに、AIは自分自身で学び方を、試行錯誤することはできない。学び方は人が与えている。
人が試行錯誤して出した指示を、忠実に高速で繰り返し、次の人の判断をまっている。

当たりをつける。感覚を持つ。人はこれまでの様々な「異なる経験」を知恵にしている。
こんな感じにしたら上手くいきそうだ。こう考えてトライすることも多いと思う。
その考えが言語化できるケースもあるが、「そうなものはそうなんだ」とも言いたくなる。
メカニズムを捉える人の能力は、頭だけでなく、5感、いや6感まで使っているのかもしれない。

AIという道具もできたことから、いま様々な分野で急速に高度なノウハウの再現が進んでいる。
AIならではの学び方を作るべく、アルゴリズムやアノテーション、センシングが工夫されている。
明らかに人の学び方とは異なる部分もある。AIの学んだ軌跡をみたとしても人は意味が分からない。
もちろん、既にAIという変わった職人の技を見て、当たりをつけられる人も出てきているとは思う。

いずれにせよ、人にとって大事なことは、手を動かすこと。予想や妄想をすることと言ってもよい。
どれだけの数の体験をしたか、それらの種類は多様か。この辺りが技能の幅やレベルを決める。
人間の凄いところは、記憶にはしっかりとなくとも、体験を身体が記憶していることがある。
一度染み付いたものは消えないようだ。さあ、まだまだ手を動かして新たな体験をしていこう。