全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。
これが調和の意味だ。ほどよくは、適度の塩梅でという微妙な意味合いだ。
社会の中で最も大事な感覚の1つは、この「ほどよく」かもしれない。
それぞれの人が「ほどよく」を意識していれば、案外暮らし易い社会になると思う。
調和という言葉を聞く度に、「波」を思い出す。海の波や光の波や音の波だ。
波には長さ、波長がある。波の周期的な長さである。強さもある。これは振幅という。
自然界にある波のほとんどは、様々な波が重なってできている。足し合わせた結果だ。
向きが逆で大きさが同じ波がぶつかれば、打ち消し合って、波は消えてしまう。
海の波は細かい波が無数に重なり合って、強め合った結果生まれる。調和した結果だ。
サーファーにとっての良い波は適度の塩梅の波。ビッグウェーブは数少ないご褒美だ。
音も同じだ。コード進行は音の重ね合わせを順番に並べていく。感情が表せる。
和音は波の重ね合わせ、次々に異なる和音を聞くことで、ほどよい心地良さを生む。
荒波は、激しく強い勢いで立つ、または打ちかかる波。とても攻撃的な波だ。
不協和音という言葉もある通り、良い塩梅でなくなると、音も不快なものになる。
社会の中で波を意識できないだろうか。一人一人の行動が小さな波だ。重なり合っている。
良い塩梅で重なり合っているのか、自分が荒波や不協和音の元になっているのかを感じたい。
そう言えば、世の中には調和という感覚に加えて、共鳴という感覚もある。波も一緒だ。
他の人の考え方や行動に自分も心から同感すること。音なら大きく増幅することだ。
良い社会というと、ついつい共鳴を目指してしまう。でもこれはごく稀な現象だと思う。
たまにある共鳴も楽しみながら、ほどよくまとまる調和を目指す。意識して過ごしてみたい。