生産手段を私有する資本家が、生産手段をもたない労働者の労働力を商品として買い取る。
その労働力を使って商品生産を行い、この過程で生み出された余剰利益を資本家が獲得する。
資本主義の辞書の定義はこんな感じだ。かなり違和感を感じたのではないだろうか。
要は生産手段を持つか持たないかで運命が変わる。そもそも労働力を商品と考えてよいのだろうか。
資本家の家に生まれれば、既に生産システムがそこにあり、ある程度初めから成功が約束されている。
一方、労働者はといえば、決められたことを黙々とこなす一生が待っているとも捉えられる。
多様性やSDGsが叫ばれる中、なんとも旧態依然とした考え方だと感じてしまう。
1億総活躍社会というスローガンもあったが、そんな世界とは真逆とも言って良い世界観な気もする。
労働者は、汗水流して働き、一定の対価を得る。その対価で好きなものを買う。消費をする。
故に、労働者は、多数の資本家の作った様々な生産システムの顧客でもあるわけだ。
だから、多くの資本家の其々の商品が売れるように、それなりのお金をもった大勢の人が必要になる。
資本家は自分の商品のシェアを上げるか、給与を上げ、消費総量を大きくするかが利益増の選択肢だ。
では、資本家にとっては、労働者が消費ではなく、資本に回すお金を持つことをどう思うのだろうか。
やはり消費総量を奪い合う競合が増えると捉えるのだろうか。であればあまりお金を持たせたくない。
一方、労働者は消費だけを楽しめれば良いのか。資本家のように供給側に回りたい欲求はないのか。
自分の創意工夫で商品を仕立て上げ、それを購入した顧客が笑顔になる。そんな体験をしたいはずだ。
これからの世界、「パイの奪い合い」と「パイの拡張や異なるパイの創造」のどちらが大事だろうか。
小さいパイをたくさん生み出すという選択肢もある。小さい生産手段をたくさん作るイメージだ。
資本家の役割も変わっていくと思う。生産手段を生み出すアドバイスや武器供給が大事になる。
資本家が黒子になり、沢山の人が創意工夫でパイを生み出せる場を作る。黒子主義はどうだろうか。