色々な矛盾と共に

人は、理路整然と考える時と、考えない時があると思う。どんなにロジカルな人でも同様だ。
特に感情が昂っている時は、見えている状況は急速に狭まり、好き嫌いだけが判断を決める。
自分の事になるとその傾向は極めて高い。親しい友人の中でも好き嫌いで動く事が増える。
もしかしたら、人は本能のまま、好き嫌いで動いていたい生き物かもしれない。

ロジカルを突き通せるのは、第三者として客観的にかつ冷静に物事にあたれる時だ。
視野を広げて、ファクトをしっかり集めて、論理を組み立てて判断できる。感情が入りにくい。
小さな殻に籠ったロジック同士の衝突なども、視野を広げてみれる客観性があれば解決に導ける。
大抵の場合、其々のロジックで使っているファクト全てを洗い出し、論理を組めば議論は収束する。

でも、社会は、論理的に正しいことを説明したり、追求したりするのに、少し疲れている気がする。
物事を前に進めるために、中身を磨くのではく、前に進めるためのロジックづくりを頑張る。
ここで疲れてしまうと、中身づくりに身が入らなくなる。とんでもなく勿体無い気がする。
最終的なゴールが新たな価値の創出であれば、感情が相手だ。論理性だけでは読みきれない世界だ。

ならば、やっぱり「実現したいパーパス」を先に共有して、そこに貢献できるものを沢山試す。
こんな進め方ができればと考えてしまう。新しいことは試さなければ分からないので当然だと思う。
大きな投資の掛かるものを同時に沢山試すわけにはいかない。だから小さい投資のものから始める。
小さい投資のものをいくつか試しながら、共有したパーパスへの土地勘を持っていくことだ。

土地勘を持てたら、少しずつ大きな投資を試していく。一貫して同じパーパスへの貢献を目指す。
それぞれの投資は、パーパスへの貢献という共通の領域以外は、手法論はバラバラで統一感がない。
それぞれの常識の中ではロジックがあるのは間違いないが、全体を見ると矛盾だらけだろう。
社会における実情と一緒だ。矛盾は多様性とも言い換えられる。パーパス実現に向けて前に進もう。