目に映るもの

今みているPCの画面。大抵のアプリケーションでは画面や文字の拡大縮小機能がついている。
例えば、プレゼンテーションソフトなら、全体の絵柄をみたり、文字や細部のデザインをみたり自在だ。
PCというデジタルの世界、仮想現実の世界では、色々な自由が効く。自分の能力が拡張している。
印刷をすればもちろん、紙として現実の世界に現れるが、その時は拡大縮小はできないが質感が宿る。

大きさを変える道具もたくさんある。それも虫眼鏡から物質の原子を見れる凄い倍率のものまで様々だ。
望遠鏡は遠くのものの大きさを大きく見せる。ある距離の物だけにピントを合わせ背景をぼかすこともできる。
サングラスを使えば明るさや色を変えられる。太陽だって見れるし、特定の色を際立たせることもできる。
ものを照らす明かりの色を変えれば、別の景色が現れる。高速道路の黄色光の中では車内は別世界だ。

こうしてみると、世の中には、色々な道具があり、楽しみ方は自在だと感じる。ワクワクしてくる。
ふと、外をみた。新幹線の窓から見えるのは、街の景色や山だ。特に富士山のスケール感に圧倒される。
景色という「言葉」の意味は巧みだと思う。一つ一つのものや家ではなく、それらの集合体を目が捉えている。
感情を揺さぶる部分を無意識の中で、切り取っているのだと思う。それを一つのもの、景色として捉えている。

景色のサイズはもちろん、大きい。街なら数百メートル、富士山なら数千メートルにも及ぶ。
車窓を楽しんでいる新幹線は時速数百キロで走っている。大きいものならスピードが出てても見れるのだ。
その時、スピードが速いと見えないという先入観は崩れ去った。それは小さいものを見ている時の常識だった。
富士山はハイスピードで走る中、少しずつ向きを変え、立体感すら伝えてくれている気がする。

世の中には道具がある。VRなどの仮想現実はリアルと見紛うものをリアルに足したり引いたりする。
拡大や縮小したり、当てる色を変えたり、見る色を変えたり。焦点の合わせる距離を変えたり。
見るものも、原子のような微細なものから、それの組み合わせの物質。家具、その集合体の家、そして街。
人工衛星からは、青い地球が見える。視点や視野を自由自在に操れるようになりたい。なれたら面白い。