素性の良い答え

論理的に正しい答え。これは、課題解決をする時に常に心がけること。
ファクトを集め、抜け漏れのない分析で、その答えの正しさを証明する。
なんども何度も課題に取り組むことで、日々研鑽することで、確かに技は磨かれる。
色々な技が使えるようになると、「なるほど」という言葉が聞けて、うれしくなる。

一方で、このくらい見ておけばロジックは通る。という「コツめいたもの」も分かる。
思考の広さを、「この人とこの人の行動を抑えておけば」などと制限してしまう。
時には、答えの論理性を示すのに都合の良い登場人物だけをファクトに使い始める。
焦っていたたり、時間が使えない時はなおさらだ。少し悲しい。

答えの素性が良い。とても大事な概念だと思う。論理性よりも大事かもしれない。
素性が良いとは、シンプルであること、そして、誰もが賛同もしくは強く嫌と思わないこと。
その課題とは別の目的(あいつに一泡吹かせたい等)が混ざらない限り、答えとして成立する。
素性の良い答えは、本質的に人が求めるもので、思考をあらゆる人に広げても変化しない。

素性が良くない答え。ある特定の立場の人だけに嬉しい答えもある。
他の立場に即して考えると、たちまち答えで無くなる。
一方よしか、二方よしの状態に止まり、三方よしや四方よしにはならない。
一度導いた答えだが、違った視点のファクトを多数加えると全く別の答えになるのと同じだ。

オープンイノベーション、エコシステム。
様々な立場の人と一緒に、1つのパーパスに向かって価値を紡いでいく。
そんな時代になってきた。より本質的な答え、より素性の良い答えを構想する時代だ。
思考を広げても、広げても変わらない答え。これをたくさん生み出して社会を変えていこう。