越境。

この言葉でまず思い出すのは小学校だ。越境入学。耳慣れない言葉だった。
日本だし、1時間かからずに行けるし。どんな境を超えているのかが不思議だった。
どうやら学区というものがあって、それを超えたというのが意味合いだった。
そして、それは少しいけないもの。そんな響きがあったのを覚えている。

まあ、境を作ったのだから、その境の中では何らかのルールがあるのだろう。
それを超えるのだから、何かが変わるのは間違えない。小学校は学区だった。
この辺りに住んでいる子供はこの学校に通うべし。管理のし易さということだろう。
同一のカリキュラムで運営されているので、敢えて他の場所に行く意味がない。

でも、実際は千代田区の小学校ということもあり、不思議な人がたくさんいた気がする。
個性豊かな人と言ってもいい。なにか自由な人も多かったような気がする。
といっても、地元の小学校と比べられる訳もないので、真偽のほどは闇の中だが。。。
とはいえ、いまでは各界で活躍している人を多く輩出しているのは事実だと感じている。

結果としては良い意味だったと思うが、いまは積極的に越境をすべしとの話もある。
恐らく、異なる専門性を持ったプロフェッショナルが出会うことで新たな価値が生まれると。
異なる分野の異なる常識が出会うと、化学反応を起こせるという訳だ。分かる気がする。
少し難しい表現だが、抽象度を上げて異なる分野の異なる常識を俯瞰すると刺激が見つかる。

これをこう組み合わせて価値に仕立てれば、新鮮かつ欲しいと感じる価値が生まれるのだ。
越境は創造性を高めるための道具だという訳だ。まだまだ多様性に触れられていないと気づく。
多様性に気づけば、新たな価値を生むきっかけにもなる。自分の世界、常識が広がるのだ。
あ、だんだん越境という言葉がポジティブにしか感じなくなってきた。越境を楽しもう!