歴史や文化を学ぶと悲しい想いになることがある。迫害の歴史などはまさにそうだ。
なぜ、人は人にそんなことをしてしまったのだろうか。恐ろしく思う。
こうした疑似的な追体験は、人が生きていく上でどのくらい必要なのだろうか。
2度と繰り返してはいけない。そうした感覚をもつためには役には立つだろう。
ただ、そうした体験の後は、どうしても少し暗い気持ちになる。上が向けなくなる。
特に、なんとか伝えねばと力がこもった展示や説明は心にずしんとくる。
でも、言葉の端々に出てくる「こうやって乗り越えた」という話はじんとくる。
人という素晴らしい存在を、諦めない意志を改めて感じることができるのだ。
当たり前だが、過去は変わらない。起きてしまった事を起きなくすることはできない。
人に優しくなかった、地球に優しくなかった。これを感じたら未来を正すことが大事だ。
2つある。まずは人や地球に謝ること。そして、同じ過ちを繰り返さないことだ。
繰り返さない方法をみんなで考えることだ。今はだいぶ実践できる社会になった。
でも、地球のどこかでは、なんでそんなことを、と思うことがまだたくさん起きている。
どうしたら無くせるだろうか。なるべく早く無くせるだろうか。多くの人がそう思ってる。
悲しいできことをしっかりと伝える。やはり大事なのかもしれない。でもそれだけではダメだ。
やはり、その出来事をどう乗り越えてきたか、そこも併せて学ぶ必要があると思う。
何十年も掛けて、社会全体で向き合い、人それぞれが悲しい想いを抱きつつ乗り越える。
そんな姿を学ぶことができたら、未来が開けるのではないのだろうか。両方を学びたい。
そうすれば、悲惨なことが起きないように心がけるだけでなく、乗り越える術も持てる。
過ちのない、ありたい未来に近づいていけるのではないかと思う。未来を切り開こう。