脱炭素社会

カーボンニュートラル。毎日どこかでニュースになっている。SDGsと同じくらいだ。
電気や熱などのエネルギーを作ると、二酸化炭素が出る。それを炭素といっているのだ。
そうした電気や熱を使って、材料を作ったり、加工したりすると、二酸化炭素が出る。
それらを組み立てて部品にしたり、製品にしたりしてもまた二酸化炭素が出る。

それらを消費者に届けるのに、トラックを走らせるとまた出る。作る過程で使うトラックも同様だ。
もちろん、保管している時も電気を使えば、二酸化炭素が出る。人の社会は二酸化炭素だらけだ。
ただ、地球はよくできていて、ちゃんと二酸化炭素を吸収する仕組みがある。植物の光合成だ。
昔は、人が社会で出した二酸化炭素を素早く吸収してしまうだけの植物がたくさんあった。

今は、植物も減ったとは思うが、なにより人の社会活動を通じて出す二酸化炭素が増えすぎたのだ。
地球が1年間で吸収できる二酸化炭素の量を3割以上上回る二酸化炭素を1年で排出している。
毎年毎年、二酸化炭素の借金が増えているようなものだ。地球が悲鳴を上げているのだ。
悲鳴との因果関係はよくわからないが、ゲリラ豪雨、温暖化などを目にすると、かなり心配になる。

さて、何ができるか。レジ袋を使わず、マイバッグを使う。これは何もゴミを減らすだけではない。
ゴミになったものが海に流れ込み、生物の生態系を壊す。決して、それだけではない。
レジ袋を作るときにも、運ぶときにも、燃やすときにも二酸化炭素を出しているのだ。
ペットボトルも同じだ。マイボトルやマイカップを使えば、地球にやさしく同じ飲み物を飲める。

買い物に行っても、ついついマイバッグを持っていくのを忘れてしまう。マイボトルも慣れない。
今回の買い物はいいや。次の時からマイバッグを使おう。そうなってしまう。何かが違う。
やはり、ここでも心のゆとりを持つことが必要だ。常に優しい気持ちで、人や地球に接する。
効率を求めるなら集中が大事だった。社会に役立つ事業を興すなら広い視野とゆとりが大事だと思う。