iPadを配る

ほぼ全体が画面の板。iPadを初めて見た時の感想はおそらくそんな感じだろう。
よくぞこんなに薄いところにコンピュータを一式収めたものだ。中が見てみたい。
製造業に従事していたらこんな気持ちを抱くかもしれない。なんとなくウォークマンを思い出す。
カセットテープと同じ面積で1.5倍程度の厚みに作られたテープレコーダーには驚愕したものだ。

次に思うのは、ノートブックPCに慣れたので、新しいコンピュータなどいらない。
そもそもノートPCも机に置きっぱなし。会議は印刷されたものが準備されている。
現状で全く困ることなどない。それどころか、iPadを持っていると追いかけられそうだ。
地球に優しいペーパーレスもわかるが、紙でないと頭に入ってこないから無理だ。

まあ、色々な理由をつけて今のスタイルを維持しようとする。特に高齢になると傾向が強まる。
大きな会社には、役員のような方が数十人いる。その中で、自らデジタル機器を使いこなす人は稀だ。
でも、会議をペーパーレスにするためには、全員にiPadを使ってもらわないといけない。
こんな状況でやるべきことはなんだろうか。強制的に配って使うのをお願いに上がるのがいいのか。

一つの回答は、iPadを配ります。欲しい人はお届けにあがります。使い方もレクチャーしますだ。
そして、次の会議の時、印刷のいらない人を募る。iPadをもらった人はほぼ印刷は使わない。
一方でもらっていない人は、もちろん印刷だ。でも印刷を使わない人が目に入る。
なにか使い勝手も悪くなさそうだ。スタイルも悪くない。少し興味が生まれるのだ。

そのタイミングでまた欲しい人の募集を掛ける。すると手が上がる。そして配る。印刷なしを募る。
すると、3回も会議をするうちに全員にiPadが行き渡るというのだ。もちろん会議から印刷が無くなる。
ここまでの流れは全て自由意志だ。強制はまったくない。ある状態とない状態を同居させただけだ。
人の心理を捉えた素晴らしい改革だ。気持ちに寄り添うとは、こういうことなのかもしれない。