まだ学生だった頃は、機能と価値が同じような意味に使われることがあった。
高機能を謳った車やカメラ、電話なども多くあったと思う。機能を極めたものだ。
馬力がある。加速性能が良い。こんな車はとても魅力的だったと思う。
デザインももちろん気にしてはいたが、機能的に見えるデザインはとても人気があった。
最初は単機能での戦いから始まり、次々に多機能の戦いへと移っていった。
多くの機能を高次元に高めることはとても難しかったが、日本はすり合わせで優位に立った。
大部屋と言われる仕事の進め方で機能ごとの縦割りの組織の弱点を見事に無くした。
それぞれのエキスパートがチームを組んで、人の創意工夫で成し遂げたのが凄いと思う。
しばらくすると、少し様相が変わったと思う。すり合わせを機械で試すやり方が生まれてきた。
いわゆるシミュレーションだ。最初は実物と合わなかったが欧州は止めなかった。
欧州はシミュレーションをどんどん極めて行ったような気がする。アメリカも同じだと思う。
シミュレーション経験の蓄積が進むと、次第に勘所が分かり、使える精度になっていった。
人のすり合わせと、一定の精度を持ったシミュレーションでは多くの場合スピードが違った。
機械はやはり速かった。キレキレの領域以外では匠のすり合わせと言えど分が悪くなった。
では、日本の勝ち筋は無くなってきたのだろうか。そうは全く思っていない。
多機能の時代が終わりつつあるからだ。人に届けた価値、体験が大事な時代になってきた。
すり合わせはより高度で感性が求められるようになっている。素晴らしさは改めて人が定義している。
こうした事例もいずれはAIに学習されるのかもしれないが、その先に人が定義するものがまた出る。
いずれの場合も、必要になるのは感性に響く要素技術だと思う。日本はそれを追求するのが得意だ。
体験をプロデュースする力を持った人が増えれば、日本の生み出す価値は一気に高まると思う。