以前、industrial.jpという音楽レーベルを見て、圧倒的な美しさに感動した。
様々な業態の町工場の加工を映像化して、加工音をサンプリングして楽曲に仕立てたモノだ。
シズル感という表現が正しいのかはよく分からないが、引き込まれる美しさがあった。
リズミカルにかつ複雑でも規則正しく動く様は、日本のものづくりの高い品質の証だと思った。
先日は、塩づくりの写真を見た。天然天日干の塩づくりを行っている現場だ。
その場に吸い込まれるような美しさがある。白と透明と光と湯気が織りなす劇場のようだ。
感じたのはここでも圧倒的な品質だ。こんなお塩を食べたらなんと美味しいのだろうか。
いつの間にか妄想が頭の中を占拠した。何につけようか、舐めてみようか。もう止まらない。
美しさというのは、どこか突き詰めたものがあるのかもしれない。研ぎ澄ましたものだ。
無駄がなく、ある到達点を求めて、圧倒的な数の試行錯誤をしながら、紡ぎ上げている。
故に、その創意工夫が乗り移ったかのように美しいのだろう。常に場を整えて試している。
とても合理的で、無理はない。でも、驚くべき技術の組み合わせで、圧倒的な品質を生み出している。
ふと思った。美しさを作ろうと思っても作れない自分がいることに気づいたのだ。
美しさの定義がわかっていなからかもしれない。自分の中では美しさは結果でしかないみたいだ。
なにかに夢中になって取り組む中で、試行錯誤を繰り返し、シンプルにすると美しさが宿る。
見る人も、何か奥行きのようなものを感じて、目の前に見えること以上の感動が湧いてくる。
あ、アーチストと呼ばれる人たちはどうなのだろうか。別の美しさの定義があるのだろうか。
それとも、こだわりのあるテーマで創作を続ける中で、紡ぎ出したモノが美しいのだろうか。
もし、美しさを生み出す法則のようなものがあるのなら、少し知りたい気もする。
でも、とことんやってみる。その結果に美しさを感じてくれる人がいる。これで良いかもしれない。