改めて調べてみると、開くには色々な意味がある。窓を開く。これが最も一般的だろうか。
運を開く、山林を開く、胸襟を開くなど、深い意味を感じるものも数多くある。
能動的な姿勢、心の解放、包み隠さない姿勢といった状況を表す。開くはとてもいい言葉だ。
オープンイノベーションも開いてイノベーションを呼び込むといった意味がありそうだ。
では、「開く」という状況を生みたくなる、その状況を示したくなる理由はなんだろうか。
自分の能力では不足を感じている。不足を感じているのを表したい。このあたりはありそうだ。
これをやりたい。なんとしてもやり切りたい。だから助けが欲しい。こんな理由もあると思う。
いずれにせよ、閉じていた内側の世界とその外の世界をつなぎたいのだと思う。
専門分野を突き詰めると、開くという感覚が持ち難い。開いても無駄という感覚すらあると思う。
開いたところで中身を理解するのは難しい。結局理解されないのなら開かなくても同じだ。
こんな感覚を持っている専門家も多い。開くではなく閉じるという選択をしてしまうのだ。
でも、改めて思うのは専門家だからこそ、突き詰めたからこそ、伝えられる真実があると思う。
突き詰めた先の発見だけを専門用語で語っても、一般人にはもちろん何一つ伝わらない。
突き詰めたからこそ見つかった真理や原理原則は人の心を動かす何かを秘めていると思う。
伝える人に合わせた抽象度で話したら、その人にはもう一歩踏み込みたいという興味が生まれる。
何人か何十人かに話せば、弟子になると言い出す人が出てくる気もする。開くことができればだ。
開くとは、相手に合わせたコミュニケーションかもしれない。つながりや興味を生み出すものだ。
聞き手の理解に合わせた抽象度で、興味や期待を生み出していけばいい。そこから徐々に引き込む。
ある程度引き込めたらぐぐっと深みに連れていく。もちろん焦りすぎてはだめだ。
色々なものが開いている世界。色々なものが生まれ出てくる楽しい世界になるのではないだろうか。