ここ数年、絵が描ければと何度も思った。伝える技術が常に足りないと感じているからだ。
これまで沢山の人にお会いして、対話を積み重ねてきたので、伝わる言葉の表現には気を付けてきた。
まずは大枠から話し始める。相手にとってのNEWを探しながら、なるべくシンプルで平易な言葉だけを使う。
でも、どうしても時間が掛かる。途中で興味を引けなくなったら、最後まで聞いてもらえない。
最初に興味を引きつけるべく、コピーライターの如く、慎重に言葉を選んでみるのも確かに効果的だ。
でも、やはり一定の長さの話し言葉は、その中に込められる伝えたいことの量に限界を感じる。
順序だって話していると、すぐに2-3分経ってしまう。必死のコミュニケーションでもままならない。
こんな経験をたくさんしてきた。もっと一度にたくさんのことを伝え、引きつける方法が欲しかった。
ある光景を目にした。一枚の絵が人を惹きつけているシーンだ。どんな説明も不要にする力があった。
言葉で説明すると、「ジョギングの速度で走る電気自動車で遠隔操作が可能。小さな移動を豊かにする」だ。
うーむ。ほぼ伝わらない。一枚の絵は、執事と着物の女性が品の良いデザインの車でおもてなしをしている。
それを見た瞬間に、見た人がそのシーンだけでなく、色々なシーンの想像をしているのが表情からわかった。
絵にはバトラーカーという名前が付いていた。見た人みんなの気持ちが揃っていった。
これが昨年の東京モーターショーに出展したときの実話だ。その後、4ヶ月で絵が現実の車となった。
何回も分厚い壁に阻まれた。でも、都度職人技で解決した。新たな職人も連れてきてくれた。凄い熱量だ。
お台場の会場で走るバトラーカーの姿は感無量だった。日本のものづくりの素晴らしさを強く感じた。
脳裏に焼き付く絵。瞬時に頭に浮かぶ笑顔のシーンの数々。絵の力の源はなんだろうか。
言葉とは奥行きが全く違う。記憶に残る度合いが全く違う。やはり、実世界は主に視覚で捉えるからだろうか。
感情を捉えるには、どんな絵を描けばいいのか。おそらくこれも鍛錬がいる。視野の広さや省く力もいる。
本質的なゴールから物事を考える。おそらくこの脳の使い方と似ている。意識して身につけていきたい。