ここ数日、長崎県にいる。どうやら北海道に次いで海岸線が長い県のようだ。
北海道とちがって、海岸線が入り組む本土と、海に広がる島々多さが要因だ。
県の中心部には古くからの海外との交流の歴史が至る所で感じられる。
島々では、数々の境界と美味しい海の幸が堪能できる。星もきれいだ。
中心部の文化は、新たな挑戦にあふれたものに感じた。色々な国の文化が融合している。
建築、食べ物、風習などに、異文化が交わり、新たなものが生まれた跡を感じる。
ちゃんぽんは典型例だろう。長崎独自の文化を表す和・華・蘭(わからん)という言葉もある。
時代の最先端を生き、さまざまなものを生み出してきた土地。そんなイメージが湧く。
一方、離島は時間の流れが明らかに違うと感じた。自然と共にゆっくりと流れている。
海からしかアクセスできないような場所に、集落があり、自然の恵みで生活をしている。
畑にできるような土地はそう広くはなかったようだが、美味しい芋と新鮮な魚がある。
変化を求めずに、豊かな暮らしを維持したいという気持ちを強く持っているように感じだ。
異文化との接点をあまり歓迎していないようにも映る。但し、すぐにyes/noと白黒つけることはない。
追い出すわけではないが、歓迎されているとは思えない状況が続くのだろうか。
でも、10年単位の時間の中で、信頼を積み重ね、深い関係を築いていくのが離島流だ。
中心部と違って、交流のスピードや交流への姿勢が明らかに違う。行動様式、文化が異なるのだ。
中心部は、異文化の交流・融合にまつわる色々な挑戦を日々繰り広げていた。
一方、離島は長い時間を掛けて、土地土地に合わせて集落毎に独自の文化が生まれていった。
離島では交流が盛んなわけではなかった。でも、中心部にも離島にも多様な文化が生まれてきた。
結果だけ見ると、どちらも多様なものに出会える。でもよく見ると成り立ちが明らかに違うのだ。