社会を切り取る感覚

一昔前までは、良い製品を作れば売れた。製品の費用対効果が高ければ売れた。
言い換えると、製品を中心に独立した「製品の世界」が作れていたのだと思う。
製品は今までにない画期的なものが生まれ、その製品を使うことが一種のトレンドだった。
人々は、その製品の世界に魅了され、引き込まれるのが楽しかった。所有が嬉しかった。

最近では、製品単体ではなかなか新しさを感じることが出来なくなっている。
少しデザインが良くなった。使い易くなった。たくさんの機能がついていて便利。
こんな製品改良はまだ至る所で行われているが、大ヒット商品などそうそう生まれない。
そもそも独立した「製品の世界」など作れないほど、日常は様々なものが絡み合ってきた。

車なら、昔はカッコいい車で、エンジン音が刺激的で、内装がスポーティであれば良かった。
今は、駐車場に困らないこと、充電に心配がないこと、安全が担保されることなどが大事だ。
それどころか、電車との乗り継ぎがスムーズであること、地球に優しいことが求められる。
独立した製品の世界ではなく、乗車の前後の時間や地球の環境をも取り込んだ世界だ。

環境は、車を使うところに留まらない。材料や部品を作るところ、組み立てや廃棄までの世界だ。
周りの製品と繋がった世界、使う人と作る人も繋がった世界を捉えた事業の組み立てが必要だ。
製品とユーザーという単純な組合せから、時間軸に沿った多様な関係者の入り混じりになる。
もちろん、世界が広がった分だけ、市場規模も広がるが、関係者間の調整は厄介になる。

本来なら社会全体を俯瞰して多様な関係者の共存共栄を実現する「世界」を描きたいところだ。
とはいえ、社会全体をデザインすることなど出来はしない。小さな社会から始めるのが妥当だ。
小さな社会のありたい姿を掲げて、共感する人々を集めていく。それを1つひとつ作り上げる。
大きな反対のない小さな社会をどんどん切り出して、たくさん作っていきたいと考えている。