パイの奪い合い。

一枚のパイがあったとしよう。それをどう温かいうちに食べるのか。
まずやるべきことは、それを何個に切るかだ。周りに何人いるかで切り分ける。
パイの大きさが小さい時は、自然に僕はいらない、私はいらないと声が上がる。
結局は8等分とかで切り分けられて、8人が美味しく頂くことになる。

パイやピザやケーキでは、奪い合いなどはあまり起きない。子供の喧嘩ぐらいだ。
そんな場合でも最後は仲直りして平和に終わる。日常ではこれが普通だ。
100個の栗を10人で分ける場合、一人10個ずつ。これがベースとなり微調整だ。
平等という感覚が常にあると思う。社会はそうして成り立っていると感じる。

ところが、企業だと何故かシェアを競合からどう奪うかという議論になる。
自動車でも飲食でも建築でもなんでも、業界第一位というタイトルを追い求める。
先行者もいれば後出しジャンケンの人もいる。伸びる市場にはみんなが入ってくる。
最初のうちは誰もが売上を伸ばす。でも次第にパイの成長は止まり奪い合いが始まる。

そこからは淘汰が始まる。互いの良いところを盗み、弱いところを突き合う。
価格競争が始まり、スケールがものを言う。次第に決着がつき、勝者が決まる。
資本主義だから競争だ。これは分からないでもないが、奪い合いはやはり醜い。
本質的に求めるべきは、多様な進化だ。それぞれが別の強みを生み出して欲しい。

叩き合うのではなく、別々の進化を遂げる。別のパイを作るかパイに合うものを加えたい。
価格競争で同じ数のパイでも市場を小さくするのではなく、一緒に大きくする。
パイの大きさに対して人数が多ければ、別のパイを食べにいく。いや作ればいい。
奪い合い、叩き合いの時間は何か勿体無い。パイの創造を常に考えるのが大事だと思う。